会社で業務中でしたが、ドスンと縦に振動が走り、その後縦横どちらにも休みなく揺れが続いていました。
生まれて23年、地震で生命の危機を初めて感じました。
揺れが収まってから、手元の貴重品や防寒具、携帯を取りに行き、すぐに外に避難しましたが、周囲の様子を見て、学生の頃に相当やった避難訓練ですが、全く役に立ってないなと思いました。
私の通っていた学校では、小・中・高いずれも「おかし」(おさない・かけない・しゃべらない)を合言葉に訓練して来ましたが(これは地域によって違うのかもしれませんが)、どの人もパニックに陥り、どれもろくに守られてはいませんでした。
ある程度余震がおさまった後は、仕事どころではないから全員帰宅するように、と指示があり、一先ず歩いて、もしくはマイカーで帰れる人のみ家路につきました。
しかし、私のように中長距離の電車通勤者は、携帯が通話もメールもネットも全く機能していなかった為に、人づての信頼できない情報を頼りにするしかありませんでした。(あの時は、東武東上線が動いているらしいというガセ情報が飛び交っていました)
正常な状態で考えれば、あの地震(震度5強〜6弱)で電車が動いている訳ないんですが。。
会社の最寄駅の志木駅に移動すると、そこには普段の10倍近くの人がいて、どの人も焦り困った顔をしていました。
また駅の中のコンコースには約200人くらいの人でごった返し、人で改札も駅員も全く見えない状態だったので電車はやっぱり動いていないんだと思い、駅前のロータリーに引き戻しました。
ロータリーには2台の公衆電話(電話ボックス)がありますが、30人ほどが行列を作り普段ならありえない「電話待ち」をしており、またそのロータリーには普段ならタクシーが何台も客待ち停車をしているのに、その時には1台もタクシーの姿がありませんでした。
走行中の車の波の中でもタクシーを見かけることはあまりなく、こういった所にも異常事態であることがはっきりわかりました。
電車が動かない以上帰れませんし、とにかく家の状況、家族の安否が気にかかり、私も公衆電話の列に並び、連絡をとることにしました。
携帯電話が通じない状態ではたして公衆電話が繋がるのか不安でしたが、回線が違うからか公衆電話は普通に繋がるんですね。家族は無事
、家も問題無いことを知り安心しました。
しかしながら、利便さから国民のほとんどが携帯電話を持っていて、そのせいで公衆電話など必要無いとあちらこちらの電話ボックスが撤去されたのに、こういった事態になって、公衆電話の必要性を考えさせられたり、また、必要だ、便利だと言っていた携帯電話を単なる電話帳代わりにしながら、公衆電話で通話するという状態は非常に滑稽だなと思ってしまいました。(本当にあの日ほど携帯電話ってこうなるとおもちゃでしかないな、と思ったのは初めてです。)
あの状況では、何が正しい行動か、誰も分かってはいなかった様で、駅で電車をひたすら待つ人、他の駅まで徒歩やバスで移動を試みる人、喫茶店などで時間を潰す人、駅の外で立ったまま途方に暮れる人など様々な人がいました。
私は、とにかく状況を詳しく知りたかったし、あの状態ではいつ電車が動くかわからないから最悪泊まれる場所を確保しなければと思い、駅のそばの24時間営業のネットカフェへ行くことにしました。
午後5時頃入店、その時はまだ半分も席はうまっておらず、一先ずホッとしながらインターネットとテレビが利用できる席に入りました。
地震が起きてからしばらくたったその時点で初めて、電車がどれも止まっていること、その日中の復旧の見通しが立ってないこと、宮城県沖が地震の発生地だったこと、津波の被害が酷いことなど、これからの自分の行動に必要な情報と、知っておかなければならない重要な情報を得ることができました。
また、携帯アドレスから携帯アドレスへのメールは受信まで40分から下手すると8時間以上のタイムラグがあること、PCアドレスならば長くても5分程度のタイムラグで受信、内容確認が出来ることもわかりました。
私は、PCアドレスで父母と連絡を取り、私同様地震で仕事が中止になった父に車で迎えに来てもらうようにしました。
午後8時半に父から志木駅に到着したというメールを受け、精算しようとレジに向かうと、ネットカフェは既に満席になっていて、更に中に入りたい人が入口で列を作って待っている状態で驚きました。(列は外にまで延びていました)
恐らく、私が駅からネットカフェに向かうまでに、駅や駅前にいた人や喫茶店にいた人などがとりあえず泊まれる所を求めて来ていたのだと思います。
車に乗り込んでからは、川越街道等幹線道路や、車線の多い道などひらけた通りは渋滞が酷く、�
ゥ宅のある文京区までひたすら細い裏道、抜け道を通り、ようやく帰ることができました。
道中、普段なら考えられないほどの大量の車に、信号が何回変わっても1メートルくらいしか進まない車の流れに、そして24時間営業のファミリーレストランが9時前に閉店していることに、信号待ちの際にあちこちのコンビニを覗くと食料品の棚がどこも空っぽになっていることに、すれ違うバスの乗客が、行き先関係なくどれもすし詰め状態になっていることに、とても驚きました。
普段からは考えられないことの連続だったことや、鉄道関連の復旧が予想より早かったことなどで、あの地震から今日まで4日しか経っていないのに、(テレビでは地震関連ニュースしか放送されていませんがそれでも)地震のこの体験については最早1ヶ月以上前のように感じている自分がいます。
備えあれば憂いなし、とはよく言いますが、やはり普段からこういった災害に備えて自分の行動をシミュレーションしてみたり、防災グッズを会社にも用意しておいたり、自分のできる範囲で先に動いておくことが大切だと切に感じました。
…学生の当時は、正直格好悪いし存在に疑問を持っていた防災頭巾ですが、やっぱり必要だと思いました。
今回はたまたま窓が割れなかったんですが、窓が割れた場合や電気の蛍光灯が割れた場合でも、ほほや首まで覆えるので、頭や顔に破片が刺さることは滅多にないと思います。本当に用意しておけばよかったと後悔した位です。
リポーターさん
埼玉県新座市野火止7丁目
2011-03-15 11:47:34